城郭紹介・競馬で有名久留米城

さて今日の城郭紹介は、この12月26日(日)に開催の第55回有馬記念(GI)に因み福岡県久留米市篠山町にある久留米城を紹介しよう!この城は江戸時代には久留米藩の藩庁が置かれた場所だが、何故「競馬で有名」なのかであるが、先ずその前に有馬氏の出自に触れて見たい。江戸時代を通してこの久留米一帯を治めた有馬氏の出自が摂津国有馬郡、現在の西宮市北区有馬町、所謂有馬温泉一帯を本貫とする赤松氏流の為、摂津有馬氏とも呼ばれている。その久留米藩主・有馬家の第15代当主で元農林大臣で有った有馬頼寧氏が日本中央競馬会第2代理事長だったおりに、競馬のオールスターレースで有る中央競馬の重賞(GI)を導入した事から「有馬記念レース」と称される様に成ったとの事。さてお城の話題に戻るが、このお城は、当初、田中吉政筑後国32万5千石で封じられ柳川城を本城とし、久留米城を支城とし二男の吉信を城主としたが、元和6年(1620年)に吉政の子、忠政に嗣子が無いまま没した為改易と成り、代わって元和7年(1621年)、丹波国福知山城主有馬豊氏が21万石で封じられ、以後、明治維新まで有馬氏の居城となった。現在は本丸御殿跡地に篠山神社が、本丸御殿跡地を含む西下櫓、坤櫓、太鼓櫓跡に有馬家の鎧兜や婚礼道具など主に豊臣秀吉の朱印状も展示し、城下町の人々の暮らしや近代の有馬家(有馬家16代当主で直木賞作家の有馬頼義の生原稿なども。)に付いても紹介している、有馬記念館が有る。画像は西下櫓下のり堀を挟んだ対岸から撮影。