久々の城郭画像・徳島城
今日は朝から小雨交じりの天気であったが、昨日に続き過ごし易い温暖な日だった。さて今日は久々にお城談義をと思い徳島城の画像を用意した。この城は、室町時代の至徳2年(1385年)に足利家一門の有力大名、細川頼之が四国地方にあった南朝方の勢力を討ち、幕府管領、阿波・伊予・備後・讃岐・土佐守護と成って現在の城地の城山に小城を築いた事が始まりだ。その後足利将軍家の衰退と共に戦国時代に成るとしばしば城主が入れ替わり、天正10年(1582年)には土佐国の長宗我部元親が侵攻し阿波が平定されたが、その後の天正13年(1585年)の豊臣秀吉の四国平定で勲功の有った蜂須賀家政(蜂須賀小六正勝の子)が阿波一国18万6千石を賜った。入封当初は徳島市西部にあった一宮城に入城し、入封早々に現在の地に大規模な平山城を築造し、徳川幕府政権下の江戸時代を通して徳島藩蜂須賀家25万石の居城として明治維新を迎える。現在見られる遺構としては、石垣、堀、庭園のみで建物として現存するものは無いが、表御殿(現在の徳島城博物館)前の表御殿庭園は、国の史跡・名勝として指定されている。1枚目画像は城郭最上部に位置する本丸跡。2枚目画像は片隅に立てられていた本丸跡の説明板。登城のおりは表門から登ったが、帰りにはあえて裏から降りてみたが正解で有った。表と違い静かな木立の中に古さを感じる野面積の石垣群が見られ。また所々に打込み接ぎや近代(江戸時代初期以降)の切込み接ぎの石積が見られ、時代を偲ばせてくれる。