明日天候が心配!!

今日午後より天候が悪く成る。明日は国内の某大学・博物館などの著名な先生方と共に広島県の弓削島と岩城島へ一泊予定の採集だ。
大垣城
明応九年に竹腰尚綱によって築城され、織田氏、斎藤氏と支配権が移り、豊臣秀吉政権下では、池田恒興が城主と成る。その後、慶長五年の関ヶ原の戦いの際には石田三成が入城し合戦に備えたが、東軍により包囲され落城。そのときの石田三成につかえる三百石取りの侍の娘が、籠城で遭遇する無残な出来事や、落城寸前の城から出産まじかの母と共に危機一髪の状況で脱出し、城外での急な母の出産などの体験談を後年、平穏な老境を迎えた"おあむ"が逸話として残した『おあむ物語』は有名。また、江戸時代に入り、寛永十二年に戸田氏鉄が城主となって以降、明治に至るまで大垣城は戸田氏の居城となったが、四代藩主・戸田氏定の治世、氏定の母方の従兄弟にあたる浅野長矩吉良義央に刃傷に及ぶ「赤穂事件」が発生し、実弟浅野大学長広は閉門となり、戸田氏定も安部信峯ら従兄弟の大名達と共に連座して出仕を止められるなど苦境に立たされるも、浅野家再興のために尽力し、元禄十四年七月には大石内蔵助・小野寺十内ら旧赤穂藩重臣を大垣に招いて浅野家再興について協議するなどの余り世間では知られていない史実も有る。画像は一昨年の益富会館恒例の新春交流会の翌日、岐阜の義兄弟の様な古い親友を訪ねた折り、撮影したもの。