便乗城めぐり2。

今日は昨日に続き、九州採集の便乗で訪れた延岡城を紹介。この城は、慶長5年の関ヶ原の戦い以後、高橋氏、有馬氏、三浦氏、牧野氏、と度々領主が変わり、延享4年(1747年)、陸奥国磐城平藩より内藤政樹が、「磐城騒動」の責任を取らされた形で懲罰的に延岡に移封された。その後、内藤氏は最も長く在封し124年間この地を治めたが、第6代藩主・政順は、嗣子が無かった為、正室の弟(江戸幕府大老井伊直弼の弟)、政義が第7代藩主として内藤家へ養子に入った。第8代藩主・政挙の時代に幕末・明治維新を迎える。現在は延岡城址城山公園として整備されており、本丸を中心に見事な石垣が良く残っている。特に印象的なのは、野面積みと打込みハギが混ざる石垣の石面に、丸に十字や角に一字などの無数の文様(家紋?)が刻印されている事だ。調べると、高橋元種築城の以前に、島津氏重臣で有った土持氏によって築城されていたものを改修したとの説も有る事とから、これらの石垣を再利用したとも考えられる。また言い伝えに、石垣の一部はある石をはずすと一気に崩落して一度に千人の敵兵を殺す事が出来ると言われ、「千人殺し」という恐ろしい異名が付けられている。 画像は平成5年に復元された北大手門だが、左脇の石垣には数多くの刻印を見る事が出来る。昨日紹介した、宮崎、大分採集の途中で、延岡市内に一泊した折に石友等を誘い撮影。次回は伊予宇和島城の予定。
延岡城